幕末を動かした異端の知性・平田篤胤の正体!復古神道と異界研究の真実
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平田篤胤の生涯は、エリート学者のそれとは全く異なる波乱万丈の連続でした。安永5年(1776年)、出羽国久保田藩(現在の秋田県秋田市)の藩士・大和田清兵衛の四男として誕生。幼少期から気骨が荒く、20歳で脱藩して江戸へ出奔した篤胤は、大工の弟子や飯炊き、夜鷹蕎麦屋の車引きなど過酷な肉体労働に身を投じながら独学で学問を修めました。
転機が訪れたのは寛政12年(1800年)、25歳のときです。備中松山藩の兵学者・平田藤兵衛の養子となり武士の身分を回復した篤胤は、医学、蘭学、儒学、仏教、さらには当時禁書であったキリスト教の漢訳書(イエズス会宣教師の著作)に至るまで貪欲に読破。該博な知識を蓄えていきました。
そして享和元年(1801年)、26歳の篤胤は運命的な転換点を迎えます。日本固有の精神を探求する国学の巨頭・本居宣長の著書に出会い、国学の道へ邁進することを決意しました。
文化元年(1804年)以降、篤胤は江戸に私塾「気吹舎(いぶきのや)」を開設。町人や下級武士のみならず、関東や信州をはじめとする豪農・名主層の支持を獲得し、最終的な門人数は没後を含めて4,000名以上に膨れ上がりました。文献の実証批判に重きを置いた宣長とは異なり、民衆の生活感情や死生観に直接届くダイナミックな語り口が、篤胤を国学四大人の頂点へと押し上げた原動力です。