甲斐の国は現在のどこ?山梨県との境界や甲州との違いを徹底解剖
甲斐の国は現在のどこ?山梨県との境界や甲州との違いを徹底解剖についての疑問解決ガイドをご紹介します。
歴史ファンならずとも一度は抱く「甲斐の国は現在のどこなのか」という疑問に対する最も簡潔で正確な答えは、「現在の山梨県そのもの」です。明治維新期における廃藩置県を経て、全国の令制国(旧国名)は離合集散を繰り返しましたが、山梨県は旧甲斐国単独でひとつの県を形成した数少ない自治体のひとつにあたります。
地理的な全容を把握するために、周囲を囲む山々と隣接地域との境界線に目を向けてみましょう。甲斐国は四方を標高2,000〜3,000メートル級の峻険な山脈に遮られた典型的な盆地地形です。
北から西にかけては八ヶ岳連峰や赤石山脈(南アルプス)を境に信濃国(現在の長野県)と接し、南は富士山や天子山地を分水嶺として駿河国(現在の静岡県東部・中部)と境界を画定していました。東側は奥多摩や丹沢の稜線を挟んで武蔵国(東京都・埼玉県)および相模国(神奈川県)に面しています。この堅固な天然の要塞こそが、外敵の侵入を防ぎ、独自の政治体制を育む土壌となりました。
かつて古代日本の行政区画を定めた令制国の歴史において、甲斐国は「東海道」に属する「上国(じょうこく)」として規定されました。海に面していない完全な内陸県でありながら、東山道(中山道方面)ではなく東海道に編入されていた事実は、古代における中央政権との交通路が相模や駿河を経由して太平洋側へと開かれていた歴史的経緯を物語っています。