青島幸男の伝説と真実|都市博中止の決断と多才すぎた生涯
話題沸騰中の 青島幸男の伝説と真実|都市博中止の決断と多才すぎた生涯について、多角的な視点を整理して公開しています。
1995年4月、青島氏は無党派層の圧倒的な支持を集め、約170万票を獲得して東京都知事に初当選を果たしました。既存政党が相乗りで推薦した元内閣官房副長官の石原信雄氏らを破るという、日本の地方政治史上最大の番狂わせの一つでした。選挙カーを使わず、ポスター貼りも最小限に抑えた「お金のかからない選挙」は、政治不信に陥っていた有権者の心を強く掴みました。
就任直後、最大の焦点となったのが、前知事の鈴木俊一氏時代から準備が進められていた巨大イベント「世界都市博覧会(東京フロンティア)」の開催可否でした。青島氏は選挙戦で「都市博の中止」を公約の最優先事項に掲げており、その実行を巡って都議会各会派、財界、官僚組織から猛烈な開催要求と圧力を受けることになります。
青島氏が都市博中止を決断した最大の理由は、「バブル崩壊に伴う都財政の深刻な悪化」と「都民との公約の厳守」でした。都議会は中止反対の決議を可決し、中止に伴う補償金・違約金などの損失は約600億円規模に達すると試算されました。しかし青島氏は「赤字が確実視されるイベントにさらなる公金を投じることは都民への背信行為である」と主張。当時の記者会見で苦悩の表情を浮かべつつも、「公約を守る」という一念で中止の決裁文書に署名しました。