占守島の戦いの真相|終戦後の激突と北海道分断を阻止した決断の全貌

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事態の急変に接した指揮官たちの下した決断は、今なお歴史の重みを放っています。当時、札幌に本営を置く北方軍(第5方面軍)司令官であった樋口季一郎陸軍中将は、未曾有の危機に際し、一切の躊躇なく防衛戦闘の指示を下しました。

「断乎反撃に転じ、侵攻軍を粉砕すべし」――大本営の終戦処理方針と自衛権行使の狭間に立ちながらも、部下の命と無辜の国民を守るため、樋口司令官は全責任を背負って自衛戦闘を認める電令を発したのです。

この命を受け、島内の四嶺山(しれいさん)を死守すべく出撃したのが、通称「士魂部隊」と呼ばれた戦車第11連隊でした。「士」の文字を分解すると「十一」になることから名付けられたこの精鋭部隊を率いていたのが、連隊長・池田末男大佐です。

出撃に際し、池田大佐は将兵を前にこう訓示を垂れました。「われわれは今、赤穂浪士となって敵陣に斬り込む。諸士は今、生命を惜しむか、大義に殉ずるか」。池田大佐は自ら先頭車両のハッチを開け放ち、白鉢巻に上半身素肌で軍刀を掲げ、全速力で敵陣へと突進しました。濃霧を突き破って突進する数十両の戦車群の咆哮に、ソ連軍兵士はパニックに陥り、海岸線へと敗走を余儀なくされます。

激しい混戦の中、池田連隊長は敵の対戦車火器を浴びて壮烈な戦死を遂げましたが、士魂部隊の決死の突撃によってソ連軍の橋頭堡拡大は完全に阻止され、四嶺山の重要拠点は日本軍の手によって奪回されました。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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