徳川家康の死因は胃がんか鯛の天ぷらか?享年75歳の最期と遺言の真相
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徳川家康の死因について、長年広く信じられてきたのが「鯛の天ぷらによる食中毒」というエピソードです。しかし、記録を精査すると鯛の天ぷら(正確には油で揚げた小鯛にすり胡麻をかけた料理)を食べたのは元和2年(1616年)1月21日、田中城(現在の静岡県藤枝市)に滞在していた夜のことでした。
家康が息を引き取ったのは同年4月17日(新暦1616年6月1日)です。天ぷらを食してから逝去までおよそ3ヶ月(約87日間)もの期間が経過しています。仮に現代でいうアニサキス症や重度の細菌性食中毒(サルモネラ菌や腸炎ビブリオなど)であった場合、通常は数日から長くとも2週間程度で劇症化して死に至るか、あるいは自然回復します。数ヶ月にわたって衰弱が続いた経過とは医学的に整合しません。
現在、日本医師会や歴史医学の専門家チームがカルテ代わりに検証している『徳川実紀』『本光国師日記』の記述からは、腹部に触れる硬い腫瘤(しこり)、著しい削痩(激やせ)、食思不振、胸のつかえ、末期の吐血やタール便といった状態が読み取れます。これらの兆候から、現代医学における見解は「末期の胃がん(胃噴門部または幽門部の進行癌)」とする説が学会の定説となっています。