山田五十鈴の生涯と波乱の私生活|4度の結婚・娘との愛憎と必殺の伝説

山田五十鈴の生涯と波乱の私生活|4度の結婚・娘との愛憎と必殺の伝説の基本情報から最新動向までを一挙に解説しました。

1917(大正6)年2月5日、大阪府大阪市南区(現在の中央区)に生まれた山田五十鈴は、新派の名優・山田九州男を父に、元芸妓の母を持つ芸能のサラブレッドとして育ちました。幼少期より日本舞踊や清元を仕込まれ、父の劇団解散による家計困窮を支えるため、1930(昭和5)年にわずか12歳で日活太秦撮影所へ入社。『剣を越えて』でスクリーンデビューを飾ります。

瞬く間にトップスターの座へと登り詰めた若い頃の山田五十鈴は、名匠・溝口健二監督に見出され、日本映画史の至宝と評される『浪華悲歌(なにわえれじい)』(1936年)および『祇園の姉妹(ぎおんのしまい)』(1936年)に主演。旧弊な社会に翻弄されながらも毅然と生きる女性像を生々しく演じ切り、日本映画界のトップ女優としての地位を盤石にしました。

戦後もその進撃は止まらず、黒澤明監督の『蜘蛛巣城』(1957年)では冷徹非情な浅茅(シェイクスピア『マクベス』のマクベス夫人にあたる役)を能面の如き静寂と狂気で演じ、世界中の映画人から絶賛を浴びました。さらに成瀬巳喜男監督の『流れる』(1956年)、小津安二郎監督の『東京暮色』(1957年)など、映画黄金期の名作群を次々と牽引。舞台芸術においても東宝演劇の柱として君臨し続け、2000(平成12)年には女優として史上初となる文化勲章を受章しました。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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