終戦後の激闘「占守島の戦い」真相と北海道分断を阻止した決断
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日本全土が敗戦の悲嘆と脱力感に包まれていた1945年8月15日、大本営は全軍に対して即時の戦闘停止を命じました。北東の最前線であった千島列島・占守島でも、守備部隊は命令に従い、火砲の解体や弾薬の処分など平和裏の武装解除作業を進めていたのです。
平穏を切り裂いたのは、1945年8月18日午前2時頃のことでした。濃霧に包まれた占守島北東部の竹田浜に、大船団を擁するソ連軍第2極東戦線軍が突如として猛烈な艦砲射撃とともに奇襲上陸を開始したのです。当時、日ソ中立条約はまだ有効期間内であり、日本側にとっては背信極まる暴挙以外の何物でもありませんでした。
この戦いがなぜ起きたのかという理由の根底には、当時の最高指導者ヨシフ・スターリンが抱いていた強烈な地政学的野心がありました。米英ソによるヤルタ協定の密約を背景に、スターリンは終戦の混乱に乗じて南樺太と千島列島全域を電撃的に奪取し、さらには「北海道の北半(留萌から釧路を結ぶ線の北側)」までをも手中に収めようと画策していたのです。ソ連軍参謀本部は、無抵抗の日本軍を蹴散らして数日で占守島を制圧し、その余勢を駆って北海道本島へ雪崩れ込むという極めて野心的な侵攻スケジュールを描いていました。