宮沢りえの母・光子の真相|毒親か敏腕マネージャーか、波乱の生涯に迫る

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婚約破棄以降、ワイドショーや女性週刊誌の論調は一変しました。光子氏は「娘を金儲けの道具にする強欲なステージママ」「私生活まで支配する毒親」として激しい攻撃にさらされることになります。

実際に、当時の現場関係者や取材記者の証言によれば、光子氏は映画やCMの現場にも頻繁に同行し、ギャランティの交渉から共演者の選定、現場の照明の当て方に至るまで容赦なく口を出したといわれます。その妥協を許さない姿勢は、大手芸能事務所をバックに持たない個人事務所として娘を守るための防壁でもありましたが、精神的に追い詰められたりえはやがて拒食症と囁かれるほどの激痩せに陥りました。

1990年代半ば、りえは仕事をすべてキャンセルし、逃げるようにアメリカ・サンディエゴへと旅立ちます。この時期、メディアでは「完全な母娘絶縁」がセンセーショナルに報じられました。母親の視線が届かない異国の地で静養し、舞台演出家・蜷川幸雄氏や野田秀樹氏との出会いを通じて演劇の深淵に触れたことで、彼女は「母親の人形」から「自律した表現者」へと自らを再生させていきました。

ネット上の掲示板やSNSでは「典型的な毒親支配」と切り捨てる声も少なくありません。しかし、光子氏のマネジメントがなければ、10代であれほど研ぎ澄まされたカリスマ性を開花させられなかったこともまた厳然たる事実です。光子氏はりえの「母」であり「マネージャー」であり、同時に「最も身近な共犯者」でもありました。

山崎 陸

山崎 陸

ガジェット&アプライアンスライター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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