福岡「親不孝通り」はなぜ改名&復活した?由来の真相から現在の治安まで徹底解説
福岡「親不孝通り」はなぜ改名&復活した?由来の真相から現在の治安まで徹底解説とはどのようなものなのか? 詳しい意味を整理してお届けします。
福岡市中央区天神3丁目、昭和通りから北側へと延びる約400メートルの通りが、通称「親不孝通り」(正式名称:天神よろず町通り)です。この独特な名称の起源は、1970年代の高度経済成長期から大学受験ブームへと遡ります。
当時、このエリアには九州最大規模を誇った「九州英数学館」をはじめ、「水奈予備校」など多数の有名予備校が集中していました。九州全県、さらには本州からも難関大学を目指す浪人生が数千人規模で集結。朝から晩まで街は若者で溢れ返っていました。
しかし、予備校生全員がストイックに机に向かっていたわけではありません。親から仕送りや高額な予備校費用を出してもらいながら、講義を抜け出して通り沿いの純喫茶や雀荘、パチンコ店、レコードショップにたむろする若者が急増。「親に学費を出してもらいながら遊んでいる親不孝者たちが集まる通り」として、近隣の喫茶店主や地元住民が半ば自虐と親しみを込めて「親不孝通り」と呼び始めたのがすべての始まりです。
当時の様子について、通りで50年近く営業を続ける飲食店関係者は次のように証言しています。
「昼間から予備校のテキストを小脇に抱えた若者が、ロック喫茶の『ジューク』やジャズ喫茶に入り浸って未来や音楽を熱く語り合っていた。親不孝という言葉には、単なる非難だけでなく、モラトリアム期を生きる若者への街の大らかな眼差しが含まれていたんです」
昭和の終わりから平成初期にかけては、伝説的ディスコ「マハラジャ」の進出やインディーズ音楽シーンの隆盛に伴い、予備校生の街から「九州No.1の若者・クラブカルチャーの発信地」へと急速な変貌を遂げていきました。