昭和の終戦記念日はなぜ8月15日なのか?玉音放送と降伏の真相を追う

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玉音放送に至る終戦の経緯は、決して平坦な道筋ではありませんでした。1945年8月6日の広島への原爆投下、8月8日深夜のソ連対日参戦、そして8月9日の長崎への原爆投下と、戦局は壊滅的な極相を迎えていました。

最高戦争指導会議では、「国体護持(皇室の存続)」を唯一の条件として受諾を主張する東郷茂徳外相らと、自主的な武装解除や戦犯処罰、占領制限などを要求し本土決戦を辞さない構えの阿南惟幾陸軍大臣らが激しく対立。膠着状態を打破したのは、8月10日未明の御前会議における昭和天皇の「私の任務は先祖から受け継いだ日本の国土と国民を救うことにある」という最初の聖断でした。

さらに、連合国側からの「バーンズ回答」に含まれる「天皇および日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官に従属(subject to)する」という文言の解釈を巡り、軍部強硬派は猛反発しました。クーデターの機運が緊迫する中、8月14日の最後の御前会議で昭和天皇は涙を流しながら「国民がこれ以上塗炭の苦しみに喘ぐのを見るに忍びない。私はどうなろうとも、これ以上戦争を続けることはできない」と語り、再度の聖断を下しました。

その夜から15日未明にかけて、終戦を阻止しようとする陸軍省や近衛師団の青年将校らによる未遂のクーデター「宮城事件」が勃発します。近衛師団長を殺害して皇居を占拠し、宮内省で録音された玉音放送のレコード(玉音盤)を奪回しようと捜索を繰り広げましたが、東部軍司令官らの説得と鎮圧により反乱は失敗。録音盤は侍従たちの手によって守り抜かれ、8月15日正午の放送へとつながりました。

吉田 誠

吉田 誠

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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