向田邦子も犠牲に…遠東航空103便墜落事故の真相!なぜ空中分解は起きたのか
向田邦子も犠牲に…遠東航空103便墜落事故の真相!なぜ空中分解は起きたのかにまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。
1981年8月22日、台北・松山空港の滑走路を飛び立った遠東航空103便(機体記号:B-2603)は、台湾南部の拠点都市である高雄へ向かう所要時間わずか45分程度の極めてありふれた国内定期便でした。操縦桿を握っていたのは経験豊富な機長陣であり、当日の天候も巡航に支障をきたすような悪天候ではありませんでした。
午前9時54分に離陸した同機は、順調に上昇を続けて高度約21,000フィート(約6,400メートル)の巡航高度へ到達します。しかし、離陸からわずか14分後の午前10時8分頃、台北管制のレーダーから前触れもなく同機の機影が消失しました。
目撃者の証言によると、台湾北西部・苗栗県三義郷の上空において、突然「ドーン」という激しい破裂音とともに白い航跡を描きながら機体が複数の破片に分裂。主翼、胴体前部、後部、そしてエンジンがバラバラになって山林や茶畑へと降り注ぎました。救難隊が険しい山岳地帯に到達したものの、生存者はゼロ。山腹に散乱した機体の残骸と乗客の手荷物は広範囲に飛び散り、現地では地名を取って「三義空難」と呼ばれる凄惨な現場となりました。