国宝『唐獅子図屏風』の真実|狩野永徳の最高傑作と右隻左隻の謎

国宝『唐獅子図屏風』の真実|狩野永徳の最高傑作と右隻左隻の謎を徹底追究! 読者が気になる トピックの裏側を凝縮して配信します。

『唐獅子図屏風』の来歴には、日本史の転換点となった大事件が深く刻み込まれています。最も劇的なエピソードとして語り継がれているのが、天正10年(1582年)の「備中高松城の戦い」における豊臣秀吉の軍事外交です。

本能寺の変の一報を極秘裏に受け取った秀吉は、敵対していた毛利輝元軍と急ぎ和睦を結び、主君の仇・明智光秀を討つべく「中国大返し」を敢行しなければなりませんでした。この電撃的な和睦締結の際、秀吉が毛利輝元への講和の証として陣中から贈ったのが、この永徳筆の『唐獅子図屏風』であったと伝えられています。毛利家の誇り高い武将たちを納得させるため、秀吉が持てる最高の財宝を差し出したという歴史的背景は、本作が帯びる武威の凄みと見事に合致しています。

毛利家に大切に守り伝えられたこの名画は、明治維新を経た1888年(明治21年)、長州藩主であった毛利元徳公爵によって明治天皇へ献上されました。こうして皇室の所蔵(御物)となり、宮内庁の管理を経て、現代の三の丸尚蔵館へと受け継がれてきたのです。乱世の外交カードから近代皇室の至宝へ——。幾重もの激動をくぐり抜けて傷ひとつなく現代に残された奇跡に、歴史のロマンを感じずにはいられません。

加藤 愛美

加藤 愛美

エンタメ専門ジャーナリスト

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest