二・二六事件なぜ起きた?青年将校の暴走と昭和天皇の激怒を徹底解剖

二・二六事件なぜ起きた?青年将校の暴走と昭和天皇の激怒を徹底解剖についての疑問解決ガイドをお届けします。

二・二六事件の4年前に起きた「五・一五事件(1932年)」としばしば混同されますが、その性質と結果には決定的な違いがあります。

  • 五・一五事件:海軍青年将校らによる犬養毅首相の暗殺。規模は数十人程度。裁判が公開され、世論の助命嘆願が巻き起こり減刑された。この事件で政党政治(憲政の常道)が崩壊。
  • 二・二六事件:陸軍青年将校らによる約1,400名の兵を動員した帝都占拠。非公開裁判で首謀者は即座に死刑。世論が軍部への恐怖を抱き、軍部の発言力が極大化。

二・二六事件の最大の皮肉は、反乱を起こした「皇道派」が壊滅したことで、むしろ対立関係にあった「統制派」が陸軍の主導権を完全に掌握した点にあります。統制派は「軍部を抑えるためには軍の要求を聞くしかない」と政治家や官僚を脅迫し、政治への介入を急速に強めました。

事件後、軍の意向に反する内閣を阻止できる「軍部大臣現役武官制」が復活。これにより、軍部が大臣を出さなければ内閣が成立しない仕組みが完成し、日本は軍部の独走を誰も止められない軍国主義体制へと突入していきました。二・二六事件は、翌1937年の日中戦争勃発、そして太平洋戦争へと至る破滅への扉を開けた決定打となったのです。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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