なぜ伏見櫓は福山城と皇居に?秀吉の城から移築された真相を徹底解説
なぜ伏見櫓は福山城と皇居に?秀吉の城から移築された真相を徹底解説に関する基本知識を徹底的にまとめました。詳細を読もうことができます。
城郭を巡る言説の中には、観光パンフレットやネット上のまとめ記事を通じて定着してしまったいくつかの誤解が存在します。歴史のリアリズムを捉えるためには、これらの俗説を検証し直す必要があります。
誤解1:皇居の伏見櫓は秀吉の伏見城の部材で建っている?
皇居前広場の解説板などでは長年「家康が伏見城から移築させた」と紹介されてきました。しかし、近世建築史の調査研究によれば、現在の皇居伏見櫓は明暦の大火(1657年)で西の丸が類焼した後の万治2年(1659年)に建て直されたものとする見解が学界の定説になりつつあります。
大火以前の慶長期に伏見城から移築された初代伏見櫓が存在し、焼失後の再建時にその由緒ある櫓名を継承したというのが歴史的経緯の真相です。部材そのものが桃山期のものではないとしても、「伏見」の名を残し続けたこと自体が、徳川幕府にとってこの櫓が持つ象徴性の高さを物語っています。
誤解2:現在の京都市伏見区にある「伏見桃山城」が本物?
伏見城の遺構を訪ねようとして、京都市伏見区の桃山丘陵に立つコンクリート製天守をイメージする人が少なくありません。しかし、あの天守は1964年に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の目玉施設として建設された観光用の模擬天守です。
本物の伏見城の遺構は、福山城伏見櫓をはじめ、京都の大徳寺唐門、二条城唐門、西本願寺飛雲閣など、各地に分散して現存しています。「本物の伏見城を見たいなら京都ではなく広島県福山市へ行くべき」と言われる理由はここにあります。