昭和の怪物・河野一郎の虚実!五輪招致と日ソ交渉の未公開記録
昭和の怪物・河野一郎の虚実!五輪招致と日ソ交渉の未公開記録に関する専門家の意見を丁寧に解説いたします。
1956年の日ソ国交回復において、盟友・鳩山一郎首相を支えてモスクワに乗り込んだ彼の外交手腕は今なお語り草だ。フルシチョフとの息詰まるサシの交渉。北方領土問題をめぐる激しい応酬の裏で、彼がどのようなカードを切り、いかなる妥協点を探っていたのか。近年機密解除されたソ連側の外交文書からは、従来の公式記録には残されていない生々しいやり取りが確認できる。相手の懐に飛び込みつつ、漁業交渉を手土産に実利をもぎ取った交渉術は、冷戦下の極限外交における教科書と言っていい。
さらに1964年の東京オリンピックでも、建設大臣として首都高速道路や東海道新幹線、競技施設の整備を強烈なリーダーシップで推進した。工期の遅れを許さず、地権者や官僚の抵抗を現場主義でねじ伏せた執念の記録が、残された作業日誌から読み取れる。「間に合わなければ腹を切る」とまで言い放った覚悟の裏には、敗戦からの復興を世界に見せつけるという純粋な国家再建の情熱が宿っていた。