靖国神社に祀られている有名人一覧|坂本龍馬からA級戦犯まで合祀の基準を徹底解剖
靖国神社に祀られている有名人一覧|坂本龍馬からA級戦犯まで合祀の基準を徹底解剖の見逃せないポイントを徹底的にカバーしました。
靖国神社の有名人を語る上で避けて通れないのが、極東国際軍事裁判(東京裁判)で処刑された東條英機元首相ら「いわゆるA級戦犯」14柱の合祀問題です。
合祀に至る法的手続きと昭和53年の「秘密合祀」
第二次世界大戦後、靖国神社はGHQの「神道指令」によって国家管理を離れ、一宗教法人となりました。戦没者の合祀事務は、当時の厚生省(引揚援護局)が作成した「祭神名票」を神社側に送付し、神社側が内規に基づいて決定する形で進められました。
昭和28年(1953年)の遺族援護法改正により、東京裁判による受刑死者も「公務死」と同等に扱われ、遺族年金の受給対象となりました。これを受け、靖国神社は昭和53年(1978年)10月17日の秋季例大祭において、東條英機ら14名のA級戦犯を「昭和殉難者」として合祀しました。この合祀は当時、公表されず秘密裏に行われ、翌昭和54年(1979年)春に新聞報道によって世に知られることとなります。
昭和天皇の親拝停止と「富田メモ」の衝撃
合祀が明るみに出て以降、昭和天皇の靖国神社参拝は昭和50年(1975年)を最後に途絶えました。その理由を巡っては長年議論がありましたが、2006年に宮内庁長官を務めた富田朝彦氏の遺品から見つかった「富田メモ」によって決定的な証言がもたらされました。
手帳には、昭和天皇が次のように側近に語ったとされる発言が生々しく記録されていました。
「私は あれ以来参拝していない それが私の心だ」「松平(慶民)が宮司をついで(息子の永芳が)勝手に合祀したからだ」
昭和天皇がA級戦犯の合祀、とりわけ松岡洋右や白鳥敏捷ら日独伊三国同盟を主導した政治指導者たちの合祀に対して極めて強い不快感を抱いていたことが史料的に裏付けられた瞬間でした。以降、平成の上皇陛下、令和の今上天皇に至るまで、天皇の親拝は一度も行われていません。