美濃金山城跡の全貌|森蘭丸生誕の地と破城の石垣に残る戦国の痕跡

美濃金山城跡の全貌|森蘭丸生誕の地と破城の石垣に残る戦国の痕跡に関する深掘り解説を分かりやすく解説いたします。

美濃金山城(兼山城)の起源は、天文6年(1537年)に斎藤道三の猶子・斎藤正義が烏峰城(うほうじょう)を築いたことに遡る。永禄8年(1565年)、織田信長が東美濃へ進出すると、信長配下の猛将・森可成(もり よしなり)が城主として入城し、「金山城」へと改称された。

森可成が元亀元年(1570年)の坂本の戦いで討死した後は、長男の可隆も同年に戦死していたため、次男の森長可(ながよし)が13歳で家督を継承。「鬼武蔵」の異名をとる苛烈な武勇で東美濃の領国支配を盤石なものとした。そして、この兼山城下で元亀3年(1572年)に生まれたのが、信長の側近として本能寺の変で散った森蘭丸(成利)である。三男の坊丸(坊丸長隆)、四男の力丸(力丸長氏)もこの地で幼少期を過ごしたと伝えられる。

森長可が天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで戦死した後は、末弟の森忠政が城主となった。忠政は城郭の大改修を行い、金箔瓦を葺いた瓦葺きの建物群や壮大な石垣を配した最新鋭の織豊系城郭へと昇華させた。美濃金山城跡は、戦国乱世における森一族の栄枯盛衰の記憶を色濃く刻み込んだ聖地なのである。

石川 優花

石川 優花

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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