赤松良子の生涯と功績|均等法の生みの親が遺した歴史的転換点

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赤松良子氏の歩みは、戦後日本の法曹・行政史におけるガラスの天井を打ち破る連続でした。大阪府出身の赤松氏は、1953年に東京大学法学部を卒業。国家公務員上級職試験(現在の国家総合職)に合格し、当時の労働省(現・厚生労働省)へ入省しました。当時は女性キャリア官僚が極めて稀少だった時代であり、職場内外に根強い性別役割分担意識が存在する中での船出でした。

行政官としての最大の功績は、1982年に労働省婦人少年局長(後の婦人局長)に就任後、1985年に成立させた「男女雇用機会均等法(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律)」の立案・調整です。当時、日本は国連の「女子差別撤廃条約」批准を目指していましたが、国内法整備を巡り経済界からの強烈な反発と、労働側からの保護規定撤廃への懸念が激突していました。

当時の国会審議録や関係者の証言によると、赤松氏は労使双方の凄まじい対立の間で粘り強く調整を重ね、「まずは法律というレールを敷き、時代とともに改正して育てていく」という現実主義的な判断を下しました。当初は罰則規定のない「努力義務」中心のスタートであったため一部から批判も浴びましたが、この妥協なき現実的アプローチこそが、その後の均等法改正と女性活躍の礎となったのです。

鈴木 陽菜

鈴木 陽菜

テックライター兼ウェブディレクター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

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