甲斐はどこ?山梨県全域と甲斐市の違いや歴史の真相を徹底解説

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甲斐国がなぜ現在「山梨県」と呼ばれているのか、その背景には明治維新期のドラスティックな行政改編が関わっています。

1868年(慶応4年)の明治改元後、甲斐国には甲府裁判所が置かれ、やがて府中藩などを経て1871年(明治4年)の廃藩置県によって「甲府県」が成立しました。しかし、そのわずか数か月後の同年11月、太政官布告によって全国規模の府県統合が行われ、県庁が置かれた甲府の所属郡名である「山梨郡」を採って「山梨県」へと改称された経緯があります。

明治新政府が旧国名(甲斐)をそのまま県名に引き継がず、郡名(山梨)を採用した背景には、旧幕府勢力や封建領主の記憶を払拭し、新たな中央集権体制を定着させる意図があったと歴史学者の間でも指摘されています。信濃が長野県へ、越後が新潟県へと改称されたのと同様の政治的力学が働いた結果です。

また、日常的に使われる「甲斐」と「甲州」の使い分けについても明確な理由が存在します。「甲斐」は古代からの和名(正式な国名)であるのに対し、「甲州」は中国風に1文字+州で呼ぶ唐名(漢風呼称)です。武州(武蔵)、信州(信濃)、相州(相模)と同様の呼び方であり、指し示す地理的範囲は全く同じ山梨県全域を意味します。近代以降は「甲州街道」「甲州ぶどう」「甲州ワイン」のように、街道名や地域特産品のブランド呼称として「甲州」が広く定着しています。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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