シベリア出兵とは?理由と米騒動の真相・失敗の結末を徹底解説

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シベリア出兵は、戦場となった極東ロシアだけでなく、日本国内の社会構造をも根底から揺さぶりました。その最大の激震が、1918年7月から9月にかけて全国へ燃え広がった米騒動です。

第一次世界大戦の好況によって物価が高騰していた中、政府が出兵方針を固めると、軍隊向けの食糧(軍糧米)の大量買い付けが行われることを見越した商人や財閥系商社が、米の投機的な買い占めと売り惜しみを始めました。これにより主食である米の価格が急騰。日雇い労働者や庶民の生活は一気に困窮を極めます。

発端は1918年7月、富山県魚津港で起きた漁民の妻たちによる米の積み出し阻止行動(越中女房一揆)でした。「米を他所へ運ばず、地元に安く売ってほしい」という切実な叫びは新聞報道を通じて瞬く間に全国へ伝播します。京都、大阪、名古屋、東京をはじめ、全国1道3府38県、炭鉱や主要都市へ騒動は拡大。暴徒化した民衆が米商店や精米所を襲撃・焼き討ちし、政府は全国に軍隊を出動させて武力鎮圧を図る事態に陥りました。

民衆の怒りの矛先は、出兵を強行しながら物価対策を怠った寺内正毅内閣へと向かいました。「ビリケン内閣(非立憲内閣)」と揶揄された超然内閣は統治能力を失い、1918年9月に総辞職を余儀なくされます。元老・山県有朋も藩閥政治の限界を悟り、爵位を持たない衆議院議員であった原敬に大命が降下。「平民宰相」による日本初の本格的政党内閣の誕生という、大正デモクラシーの決定的な転換点は、皮肉にもシベリア出兵の失政がもたらしたものでした。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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