なぜ倭から日本へ変わったのか?国号誕生の真相とニホン・ニッポンの謎
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日本の歴史を遡ると、古代中国の史書において列島に住む人々は長らく「倭人」、その国は「倭国」と記録されてきました。西暦57年に後漢の光武帝から授けられた金印に刻まれた漢委奴国王印倭の歴史が示すように、当時の列島勢力は中国王朝を頂点とする朝貢体制の中に組み込まれ、「倭」という他称を受け入れていたのです。
しかし、「倭」という漢字には「背が曲がっている」「従順である」「劣っている」といった見下すニュアンスが含まれていました。国内の統合が進み、国家としての自立意識が高まるにつれて、この蔑称に近い呼び名を脱却したいという機運が急速に高まります。
改称の決定的な引き金となったのが、西暦663年の白村江の戦いです。百済復興を支援した倭国軍は、唐・新羅の連合軍に大敗を喫しました。この軍事的敗北によって、当時の指導層は強烈な国家存亡の危機感を抱きます。唐による侵略を防ぎ、同時に東アジアの国際社会で一人前の独立国家として認められるためには、律令制度を整えた近代国家への脱皮と、対等な関係を主張できる新たな国号が不可欠でした。
こうして天武天皇から持統天皇の治世にかけて国号変更の準備が進められ、西暦701年の大宝律令国号制定によって、対外的にも国内的にも「日本」という名称が正式に法制化されたのです。中国側の史書である『旧唐書』にも「倭国は自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本と名づく」と記録されており、外交的自立とプライドをかけた倭国から日本への改称理由が明確に裏付けられています。