今から8000年前の地球と日本|東京が海だった縄文海進の衝撃と真相

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視点を世界へと広げると、紀元前6000年の世界はまさに「人類文明の胎動期」でした。考古学の研究者たちが発掘現場の手記や国際シンポジウムで語る通り、この時代は地球上の各地で独自のイノベーションが同時多発的に火を噴いた奇跡の時代です。

肥沃な三日月地帯に位置するメソポタミアの先史時代においては、後の都市文明を形成する「ウバイド文化」の黎明期にあたります。乾燥地帯で植物を育てるための初期的な灌漑水路が掘削され、コムギやオオムギの計画栽培、ヒツジやウシの家畜化が定着しました。余剰作物の発生は貧富の差や階層化を生み、やがて神殿を中心とする世界最古の文明の始まり(シュメール文明)へと直結していきます。トルコのアナトリア高原にあるチャタル・ヒュユク遺跡では、数百棟の日干しレンガ家屋が壁を接して密集し、独自の壁画や母神像を持つ宗教的共同体が繁栄していました。

一方の東アジア、中国大陸の長江流域ではヘムドゥ(河姆渡)文化に先駆ける初期の稲作農耕が広がり、黄河流域ではアワやキビの栽培が始まっていました。まさに新石器時代の農耕の起源が地球規模で定着していった画期です。

ここで専門家たちが驚嘆するのは、大陸で階級社会と都市化への道を歩み始めた時代に、日本列島の縄文人は「まったく異なる生存戦略」を選択したという事実です。広大な落葉広葉樹林(クリ、クルミ、ナラ)と黒潮・親潮が交差する豊かな漁場に恵まれた日本列島では、自然を無理に改変・支配する大規模農耕を行わずとも、自然のサイクルと完璧に同期することで、数千年にわたる持続的平和を維持していました。これは世界史のスケールで見ても極めて特異で洗練された生態系適応モデルと言えます。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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