夏川りみ『涙そうそう』誕生秘話|亡き兄への祈りと奇跡のヒットの真相
夏川りみ『涙そうそう』誕生秘話|亡き兄への祈りと奇跡のヒットの真相に関する最新のニュースを分かりやすく解説します。最新情報を求める方は必見です。
日本レコード大賞金賞を受賞し、今や教科書にも掲載される国民的楽曲『涙そうそう』。その出発点は、1990年代末に森山良子が抱えていた深い喪失感にありました。
森山良子には、幼少期から深い愛情で結ばれていた2歳年上の兄がいました。音楽の道を志す彼女を誰よりも励まし、一番の理解者であった実兄が、22歳という若さで心不全により急逝。以来、森山は数十年にわたり、心の奥底に兄への思慕と拭いきれない悲哀を封印し続けていたといいます。
転機が訪れたのは1998年。沖縄出身のバンドBEGINのライブに接した森山は、その泥臭くも温かいメロディに心を奪われ、「沖縄の風を思わせるアコースティックな曲を書いてほしい」と楽曲制作を依頼します。数か月後、BEGINのボーカル・比嘉栄昇から届いた仮カセットテープのインデックスには、鉛筆の走り書きで『涙そうそう』と記されていました。
比嘉から「涙がぽろぽろとこぼれ落ちる様子を表す古い沖縄の言葉です」と教えられた瞬間、森山の胸の中で堰き止められていた兄への感情が決壊します。彼女は机に向かい、わずか10分足らずの間に、あふれ出す涙とともにあの切なくも温かい歌詞を書き上げました。
こうして1998年に森山良子版が、2000年にはBEGINによるセルフカバー版が世に出たものの、この曲が社会現象へと昇華するには、もう一人の運命的な女性の存在が必要でした。それが、沖縄・石垣島出身の夏川りみです。
幼少期から「天才民謡少女」として名を馳せ、1989年に演歌歌手・星美里(ほしみさと)としてデビューしたもののヒットに恵まれず、一度は引退して那覇市内の姉の飲食店を手伝っていた彼女は、再デビューのチャンスを探していました。2000年夏、沖縄サミット関連の音楽祭をテレビで見ていた夏川は、BEGINが披露した『涙そうそう』を耳にした瞬間、全身を貫くような鳥肌に襲われます。
「この歌を歌いたい。私の歌として世の中に届けたい」――確信を抱いた夏川は、同郷のBEGIN・比嘉のもとへ直談判に赴きます。当初、比嘉は「良子さんの特別な曲だから、そう簡単には他人に歌わせられない」と慎重な姿勢を崩しませんでした。しかし、夏川の底知れぬ情熱と、実際にスタジオで声を合わせた際に放たれた天上の美声に圧倒され、「りみちゃんなら、この曲の心を新しい形で届けてくれる」と快諾。奇跡の三者リレーがここに完成したのです。