バイきんぐ小峠の高校時代と留年の真相!卒アル写真とロックな原点
今注目を集めている バイきんぐ小峠の高校時代と留年の真相!卒アル写真とロックな原点について、多角的な視点を整理して公開しています。
ネット上の掲示板や検索サジェストでは、「筑豊出身」「スキンヘッド」というパブリックイメージが先行し、「小峠は元ヤンキーで喧嘩によって停学・留年になったのではないか」という憶測が長年飛び交ってきました。しかし、報道各社のロングインタビューやバラエティ特番で本人が赤裸々に語った一次証言を照合すると、実態は全く異なる方向を向いています。
彼が高校1年生の冬に留年を宣告された真の理由は、素行不良による処分ではなく、純粋な「出席日数不足」でした。
中学時代にTHE BLUE HEARTSの音楽と出会い、全身に電流が走るような衝撃を受けた小峠少年は、高校進学後にその情熱をさらに狂熱的なレベルへと加速させます。セックス・ピストルズやザ・クラッシュといったUKパンク、そしてBLANKEY JET CITYなどの尖鋭的な日本のオルタナティブ・ロックに心酔。夜な夜な爆音でレコードやカセットテープを聴き漁り、革ジャンや安全ピン、バンドTシャツに身を包んで自室にこもり、あるいは仲間と音楽談義に明け暮れる日々を送っていました。
「朝起きて学校に行く」という当たり前の社会規範が、ロックの強烈な熱量の前には無意味に思えてしまったと、当時の心境をバラエティ番組『あちこちオードリー』などで自嘲気味に振り返っています。夜更かしが常態化して朝起きられず、遅刻を重ね、気づけばサボりが常態化。気が向いた日だけふらりと登校するという生活を続けた結果、容赦なく進級に必要な単位と出席日数が欠落し、高校1年生のやり直しが確定しました。
田川という土地柄、周囲には本物のヤンキーや暴走族が多数存在していましたが、小峠自身は暴力や集団抗争に興味を示すことはありませんでした。群れることを極端に嫌い、自分の信じる音楽の世界にのみ純粋にダイブしていた「尖り散らした孤高のロック少年」――これこそが、小峠英二の高校時代の真のポートレートです。