焼きそば発祥の地はどこ?浅草・闇市説の真相と三大ルーツの歴史
焼きそば発祥の地はどこ?浅草・闇市説の真相と三大ルーツの歴史とは一体何なのか? 背景や要点を簡潔に解説します。
昭和初期に浅草などの一部で芽生えていたソース焼きそばが、全国津々浦々の国民食へと飛躍したのは、1945年の終戦直後に誕生した戦後闇市の存在でした。
焼け野原となった東京や大阪の駅前闇市では、深刻な食糧難が続いていました。米は手に入らず、配給や米軍の横流しによって出回っていたのはアメリカ産の小麦粉(メリケン粉)でした。闇市の屋台店主たちは、限られた小麦粉から作られる貴重な中華麺を使って、なんとか腹を満たせる料理を作ろうと試行錯誤しました。そこで編み出されたのが、「安価なキャベツを大量に入れて麺をかさ増しする」という苦肉の策です。
当時、キャベツは比較的安価で手に入りやすい野菜でした。しかし、水分を多く含むキャベツを炒めると水分が滲み出てしまい、従来の塩や醤油味では水っぽく、味がぼやけてしまいます。そこで投入されたのが、濃厚で塩分と酸味が強いウスターソースでした。強火の鉄板で水分を飛ばしながら濃厚なソースを絡めることで、キャベツの甘みが引き立ち、麺が少なくても抜群の満足感を得られる料理が完成したのです。空腹に耐えかねていた当時の庶民にとって、鉄板の上で弾けるソースの匂いとボリューム満点の焼きそばは、まさに生きる活力を与えるご馳走でした。