主要な局面・事件詳細・数値データ朝廷側の負担・一般的な基準編集部の見解・評価伊治呰麻呂の乱(780年)帰順していた蝦夷首長・伊治呰麻呂が蜂起。按察使・紀広純を殺害し多賀城を焼き討ち国府機能の完全麻痺、東北全域の統治崩壊朝廷内の差別的待遇に対する怒りが爆発した構造的反乱巣伏の戦い(789年)アテルイ軍約1,500人 vs 朝廷軍約52,800人。官軍損耗2,200人以上征東将軍軍記における未曾有の大惨敗機動戦術と地形利用による、古代日本軍事史上稀に見る完全勝利坂上田村麻呂の遠征(801–802年)動員兵力約4万人。胆沢城を築城。802年にアテルイ・モレら500余人が降伏国家歳入の大部分を軍事費に投入する限界作戦力攻めではなく城柵包囲と懐柔工作を併用した兵站戦の結実徳政相論と終息(805–811年)菅野真道の「継続論」に対し藤原緒嗣が「軍事と造作の中止」を主張、桓武天皇が受諾民衆疲弊・国家財政破綻による侵略政策の中断蝦夷の徹底抗戦が古代律令国家の中央集権拡大を挫折させた証左