大阪のイカ焼きは姿焼きとなぜ違う?発祥の歴史と阪神名物の真相2026
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この独自のスタイルが誕生したのは昭和30年代初頭(1950年代)の大阪でした。有力なルーツとされるのが、初詣や祭礼で賑わう大阪市住吉区の住吉大社境内で出されていた屋台です。第二次世界大戦後の食糧難や物資不足の余韻が残る中、当時安価で手に入りやすかったスルメイカの端材やゲソを、小麦粉を溶いた生地に混ぜて平たく焼き上げたのが始まりとされています。
それを看板メニューとして定着させ、常設店舗として世に広めた人物のひとりが、現在も名店として知られる桃谷いかやき屋の創業者です。当初の屋台では丸型の手動式鉄板プレス器を使って力任せに焼いていましたが、その手軽さと中毒性の高さが子どもたちや労働者の胃袋を鷲掴みにし、大阪の下町各地へ瞬く間に飛び火しました。
大阪のローカルおやつから全国区の知名度を誇る名物へと飛躍させた最大の契機は、1957年(昭和32年)の阪神百貨店への出店です。百貨店の地下に誕生した立ち食いフードコート「スナックパーク」に導入されたことで、梅田のビジネス街を行き交う会社員や買い物客へと利用層が一気に拡大しました。限られた休憩時間にワンハンドで素早く食べられ、小銭数枚で満腹になれるイカ焼きは、高度経済成長期の大阪を支えるエネルギー源として定着していったのです。