夏目漱石『こころ』結末と遺書の真相|なぜ先生とKは命を絶ったのか
夏目漱石『こころ』結末と遺書の真相|なぜ先生とKは命を絶ったのかの重要ポイントをご紹介します。最新トレンドがチェックできます。
本作を読み解く上で避けて通れないのが、夏目漱石が物語の終盤に埋め込んだ強烈な思想的フレーズです。夏目漱石こころの名言解説として、現代の読者にも深く刺さる2つの重要表現に注目してみましょう。
第一に、先生が青年に吐露する近代人の宿命です。
「自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我等は、其犠牲としてみんな此淋しみを味ははなくてはならぬ」
封建的な身分制度や共同体のしがらみから解放され、個人の自由を手に入れたはずの近代人。しかし漱石は、自由の裏返しとして人間のエゴイズムと孤独が不可避的に増大することを冷徹に見抜いていました。誰の指図も受けずに自分で人生を選べるということは、すべての責任と孤立を自分ひとりで引き受けなければならないことを意味します。先生の孤独は、特殊な狂気ではなく、近代化を突き進んだ日本人が等しく抱え込むことになった実存的な病理でした。
第二に、遺書の結末で先生が語る「明治の精神に殉ずるとは」という言葉です。1912年(明治45年)7月30日の明治天皇崩御、そして大喪の日の乃木希典陸軍大将夫妻の殉死。このニュースに日本中が震撼する中、先生は「明治の精神が天皇に始まって天皇に終わったような気がした」と記し、自らも死を決意します。
この「明治の精神」とは何だったのか。文芸批評の世界では長年議論が続けられていますが、有力な見解のひとつは、「国家や道徳という超越的な大義のために、個人の命やエゴを捧げることができた時代の倫理観」です。先生は利己的な欲望(近代のエゴ)によってKを殺した自分を、前時代的な「殉死」という形式を取ることで自ら裁き、明治という時代の幕引きとともに自らの恥辱に満ちた生を終わらせたのです。