隠れキリシタンと潜伏キリシタンの違いとは?教科書や世界遺産の真相
隠れキリシタンと潜伏キリシタンの違いとは?教科書や世界遺産の真相についての疑問解決ガイドをご紹介します。
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徳川家康が1612年に直轄領へ出し、翌年に全国へ拡大した江戸時代の禁教令と弾圧は、島原・天草一揆を経て凄惨を極めました。幕府は宗門改や寺請制度を敷き、すべての民衆を寺院に登録させるとともに、マリア観音と踏み絵の歴史に見られるような徹底した摘発システムを構築します。
信徒たちは、観音菩薩像を聖母マリアに見立てて拝み、キリストや聖母が描かれたメダルを踏まされる絵踏みの儀式を終えた後には、涙ながらに赦しを乞う祈りを捧げました。指導者である司祭が不在となってからも、信徒組織(組)を作り、「帳方(指導者)」「方配(洗礼を授ける役)」といった役職を秘密裏に継承しながらコミュニティを維持したのです。
約250年もの完全な沈黙の後、幕末の1865年に起きたのが大浦天主堂の信徒発見です。長崎に建立されたばかりの天主堂を訪れた浦上の農民たちが、フランス人司祭プチジャン神父に「ワタシノムネ、アナタノムネトオナジ(私たちの信仰はあなたと同じです)」と告白した出来事は、バチカンをはじめ世界中のキリスト教界に「東洋の奇跡」として大きな衝撃を与えました。
しかし、この直後にも明治政府初期の弾圧である浦上四番崩れの経緯が待ち受けていました。3,000人以上の信徒が全国各地へ流罪となり、過酷な拷問を受けることになります。欧米列強からの激しい非難を浴びた明治政府が1873(明治6)年にキリシタン禁制の高札を撤去したことで、ようやく約260年に及ぶ禁教の歴史に終止符が打たれました。