中世ヨーロッパを崩壊させた黒死病!ペストの歴史と終息の全真相
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1347年、シチリア島に寄港したジェノヴァ共和国の商船を起点に、ヨーロッパ全土へと爆発的に拡大したペスト。この14世紀のパンデミックにおける死者数は、ヨーロッパ全体で推計2,500万人から5,000万人、当時の総人口の約3分の1から半数近くに及んだと記録されています。全世界規模で見れば、犠牲者は7,500万人から2億人に達したと試算される未曾有の大災厄でした。
ペストが「黒死病」と名付けられた背景には、その凄惨なペストの症状と致死率があります。最も一般的な「腺ペスト」では、感染から数日内に高熱や激しい頭痛に襲われ、太ももの付け根や首、脇の下のリンパ節が鶏卵大からリンゴ大にまで腫れ上がります。重症化すると全身に内出血が広がり、皮膚が黒紫色に変色して壊死に至ることから、人々はこの病を黒死病と呼び震え上がりました。
無治療の場合、腺ペストの致死率は50%〜60%に達します。さらに菌が肺に侵入して呼吸器感染を起こす「肺ペスト」や、血液中に菌が増殖する「敗血症型ペスト」を発症した場合、致死率はほぼ100%に達し、発症からわずか24〜48時間以内に命を落とすケースも珍しくありませんでした。あまりの急変ぶりに、「朝は元気だった人間が、夜には墓場に運ばれる」と記されるほどの惨状が広がったのです。