魔女の宅急便モデル街の真相!公式スウェーデンと世界の聖地を徹底検証
魔女の宅急便モデル街の真相!公式スウェーデンと世界の聖地を徹底検証の注目ポイントを詳しく解説してご紹介します。
なぜ宮崎駿監督は、『魔女の宅急便』の舞台の礎としてスウェーデンを選んだのでしょうか。そこにはアニメーション史における重要な伏線と、制作当時の過密日程のなかで決行された徹底的な現地調査のドラマが存在します。
宮崎監督とスウェーデンの縁は、本作より17年ほど前の1971年にまで遡ります。当時Aプロダクションに所属していた宮崎駿氏と高畑勲氏は、スウェーデンの児童文学作家アストリッド・リンドグレーン原作の『長くつ下のピッピ』のアニメーション化を目指し、許諾交渉のためにスウェーデンを訪れました。原作者の合意が得られず企画自体は幻となりましたが、その際に目にしたストックホルムやゴットランド島の美しさは、若き宮崎監督の脳裏に鮮烈な記憶として焼き付くことになります。
時を経て1988年、角野栄子氏の児童文学『魔女の宅急便』のアニメ映画化が本格始動した際、宮崎監督はメインスタッフを率いてスウェーデンへの公式ロケハン(現地調査旅行)を敢行しました。同行したスタッフの証言資料によると、一行はストックホルムの路地裏からヴィスビューの城壁に至るまで歩き詰め、建物のレンガの積み方、窓枠の金具、石畳の摩耗具合、さらには北欧特有の低く柔らかい太陽光線の角度まで徹底的に観察・スケッチしました。
ただし、宮崎監督が目指したのは単なる北欧の再現ではありませんでした。監督は当時のインタビューで「もし第二次世界大戦を経験しなかったら、ヨーロッパはどのような姿を残していたか」という歴史のIFを根底に据えたと語っています。北欧の堅牢な街並みを骨格としつつ、地中海沿岸(ナポリやリスボンなど)の陽気な気候感や開放的な海、1950年代前後の乗り物や電化製品を混在させることで、どこにも存在しないのに誰もが懐かしさを覚える「コリコ」という唯一無二の多重構造都市を創り上げたのです。