真田幸村はなぜ六文銭を掲げたのか?三途の川と赤備えに宿る決死の覚悟
真田幸村はなぜ六文銭を掲げたのか?三途の川と赤備えに宿る決死の覚悟について押さえておきたい 理由を厳選して解説いたします。
Q1:真田幸村の本名である「真田信繁」自身は六文銭をどう使っていた?
A1:信繁自身は、大坂の陣において自軍の旗印や馬印、指物に六文銭を掲げました。また、兜の前立てや陣羽織にもあしらっていたと伝えられています。ただし、現存する本人の直筆書状などでは六文銭の花押を使っているわけではなく、あくまで戦陣における武具・旗印としての使用が主でした。
Q2:六文銭の「六文」は、現在のお金に換算するといくらくらい?
A2:当時の米価や労賃をもとに試算すると、1文はおよそ25円から50円程度と推定されます。したがって六文は約150円〜300円に相当します。現代であれば、自動販売機の飲料1本分程度の極めてささやかな小銭であり、「命の値段」として掲げるにはあまりに質素な金額でした。
Q3:兄の真田信之や松代藩は、なぜ六文銭を捨てなかったのですか?
A3:大坂の陣で幸村が徳川に弓引いたため、松代藩は表向き「結び雁金」を主用して幕府を刺激しないよう配慮しました。しかし、六文銭は滋野一族から受け継いだ誇り高き血統の証であり、武家の魂そのものであったため、藩主の具足や秘宝として秘匿し、明治期に至るまで代々受け継ぎました。