仁義なき戦い広能昌三のモデル美能幸三の真実と壮絶な最期を暴く
仁義なき戦い広能昌三のモデル美能幸三の真実と壮絶な最期を暴くにまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。
映画シリーズ第5作『仁義なき戦い 完結篇』において、広能昌三の最後は静寂と深い諦念に包まれています。かつて血を流し合った広島ヤクザたちは、暴力団追放キャンペーン(頂上作戦)の激化と高度経済成長の波に押され、巨大組織「天政会」を結成して企業舎弟・政治結社へと衣替えを進めていました。
近代的な合議制組織の中で、若手ヤクザたちが背広を着込み、金と権謀術数で出世を争う姿を目の当たりにした広能は、激しい違和感を抱きます。かつて自分が信じ、命を張った「極道の世界」はもはやどこにも残っていませんでした。若い市岡輝吉(松方弘樹・二役)が無惨に射殺された報せを聞いた広能は、ついに自ら結成した広能組の解散を決意。「引退届」を組織に突きつけ、群がる記者団を背に一人去っていく姿が、シリーズにおける広能の幕引きでした。
現実の事件史においても、美能幸三の決断は電光石火でした。1970年(昭和45年)、網走刑務所から仮釈放された美能を出迎えたのは、かつての殺伐とした縄張り争いではなく、警察庁による徹底的な「壊滅作戦」と市民社会による厳しい視線でした。美能は出所とほぼ同時に美能組の解散を宣言。警察当局へ正式に引退を届け出た後は、呉市内で実業家として暮らし、暴力団関係者との接触を厳しく断ち切りました。2010年1月、肺炎のため84歳でこの世を去るまで、彼は二度と裏社会の血脈に戻ることはありませんでした。