高倉健と江利チエミの馴れ初めと愛の軌跡!なぜ悲劇の離婚へ?真相を徹底解説
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離婚後、チエミさんは歌の力で巨額の借金を完済すべく全国を奔走。一方の高倉さんも日本を代表する大スターへと駆け上がっていきました。世間ではたびたび復縁の噂も囁かれ、周囲も二人を静かに見守っていましたが、運命はあまりにも残酷な結末を用意していました。
1982年(昭和57年)2月13日、江利チエミさんは港区高輪の自宅マンションで倒れているのを発見され、45歳の若さで急逝。死因は脳卒中とそれに伴う吐瀉物による窒息でした。奇しくもその日は、かつて二人が結婚記念日としていた2月16日のわずか3日前でした。
元妻の突然の訃報に対し、高倉健さんは密葬・本葬のいずれにも姿を現しませんでした。しかし葬儀の日、式場近くに停められた車の中でじっと手を合わせていた姿が目撃されています。さらに高倉さんは、チエミさんの命日(2月13日)の早朝には、毎年マスコミの目が届かない時間帯に一人で墓参りに訪れ、花を手向け続けていました。
名作映画『鉄道員(ぽっぽや)』の劇中でチエミさんの代表曲『テネシー・ワルツ』をBGMとして使用することを高倉さん自ら提案したという逸話も残っており、生涯再婚をしなかった高倉さんの胸の内に、どれほど深く元妻への想いが生き続けていたかを物語っています。