創価学会と共産党はなぜ対立するのか?幻の協定と半世紀の激突の真相

創価学会と共産党はなぜ対立するのか?幻の協定と半世紀の激突の真相の具体的な内容に迫る! 専門的な視点で紐解きます。

冷戦の緊張が続いていた1974年(昭和49年)、政治史を揺るがす極秘プロジェクトが水面下で進行していました。仲介役を買って出たのは、『点と線』や『日本の黒い霧』で知られる国民的作家・松本清張です。清張は当時の日本社会を二分する二大草の根組織の激突を憂慮し、「両者が不毛な争いを止めれば、日本の進歩的勢力の地殻変動が起きる」との情熱を抱いていました。

清張の自著や当時の関係者の証言録によると、清張は1973年秋から双方の幹部と接触を重ね、双方が直接対話に応じるよう執拗に説得を続けました。その結果、1974年10月から12月にかけて、創価学会の池田大作会長(当時)と日本共産党の宮本顕治委員長(当時)による直接会談が実現したのです。極秘裏に行われたトップ会談は、松本清張邸や都内のホテルを舞台に複数回に及びました。

そこで交わされた合意文書が、いわゆる「創共協定」(正式名称:創価学会と日本共産党との合意についての協定)です。協定の骨子は、向こう10年間にわたり相互の存在を認め、敵対的な誹謗中傷を停止し、ファシズムの台頭を許さず信教の自由を尊重するという、極めて前向きな不可侵条約でした。両トップの署名がなされた協定書は、当初は公表を控え、両者の信頼醸成を待つ約束となっていました。

しかし、1975年7月、月刊誌『文藝春秋』のスクープ記事によって協定の存在が白日の下にさらされます。日本中を揺るがす大事件となり、メディア各社は「世紀の歴史的握手」と大々的に報じました。しかし、この瞬間から協定の歯車は急速に狂い始めます。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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