吉備姫王墓と猿石の真相に迫る!飛鳥に眠る皇祖母と異形彫刻の謎
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この地に眠る人物の名は「吉備姫王」、正式には「きびのひめみこ」あるいは「きびひめのおおきみ」と読みます。一般の知名度こそ聖徳太子や中大兄皇子に隠れがちですが、飛鳥時代の権力構造を読み解く上で欠かせない最重要キーパーソンの一人です。
彼女の出自と血統を振り返ると、その立ち位置の重さが如実に浮かび上がります。吉備姫王は第29代欽明天皇の皇子である桜井皇子(さくらいのみこ)の娘にあたり、押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)の血を引く茅渟王(ちぬのおおきみ)に嫁ぎました。そして二人の間に生まれたのが、大化の改新前後にわたり二度即位した宝皇女(皇極天皇/重祚して斉明天皇)と、改新の詔を発布した軽皇子(第36代孝徳天皇)です。
つまり吉備姫王は、天智天皇(中大兄皇子)、天武天皇(大海人皇子)、そして間人皇女の「実の祖母」に該当します。『日本書紀』の記録によれば、皇極天皇2年(643年)9月に彼女が薨去した際、宮殿であった小墾田宮(おはりだのみや)に安置された後、現在の地に比定される「檀特山(だんどくせん)」「檜隈墓(ひのくまのはか)」に手厚く葬られました。まさに飛鳥時代の皇統を縦糸として繋ぎ止めた、宮廷の「ゴッドマザー」と呼ぶにふさわしい存在だったのです。