新島襄は何をした人か?命がけの密航から同志社設立と八重の真実
新島襄は何をした人か?命がけの密航から同志社設立と八重の真実とは一体何なのか? 主要なファクトを簡潔に解説します。
新島襄の密航劇は、まさに映画のような緊迫感に満ちていました。函館港で彼を支援したのは、ロシア領事館付き司祭であったニコライ(後の日本ハリストス正教会創設者)や現地の商人たちでした。夜闇に紛れて小舟を漕ぎ出し、停泊中だったアメリカの商船「ベルリン号」へ乗り移り、その後上海で「ワイルド・ローバー号」に乗り換えて太平洋を横断しました。
船上では過酷な雑務をこなしながら英語を学び、その誠実で聡明な人柄が船主である篤志家アルフィアス・ハーディー夫妻の心を動かします。ハーディー夫妻は新島を実の子のように迎え入れ、学費や生活費の全額を支援。新島は名門アーマスト大学で理学士(バチェラー・オブ・サイエンス)を取得し、さらにアンドヴァー神学校で神学を修めました。
留学中の明治4年(1871年)、欧米を視察中だった岩倉使節団と遭遇した新島は、その高い語学力と知見を買われ、使節団の通訳および教育視察の調査員として抜擢されます。使節団の副使であった木戸孝允は新島の卓越した見識に心酔し、帰国後に文部省の高官として迎える意向を示しました。しかし、新島はその出世街道をあっさりと辞退します。「官僚として制度を作るより、民間の教育者として自由な人間を育てることこそが我が使命である」という確固たる信念があったためです。