マリー・アントワネット処刑の真相と最後の言葉|断頭台の悲劇を追う

マリー・アントワネット処刑の真相と最後の言葉|断頭台の悲劇を追うの注目ポイントを分かりやすくまとめてご紹介します。

処刑されたマリー・アントワネットの遺体は、丁重に葬られることはありませんでした。首と胴体は粗末な棺に納められ、パリ市内のマドレーヌ墓地へと運ばれました。王党派による遺体の奪取や聖地化を防ぐため、身元が特定できないよう深い穴に投げ込まれ、大量の生石灰を浴びせられて急速に腐敗・分解させられたのです。

遺体が再び光を見たのは、ナポレオン失脚後の王政復古期(1815年)のことでした。ルイ16世の弟であるルイ18世の命により発掘調査が行われ、わずかに残った遺骨や衣服の断片が回収されました。そして1815年1月21日、ルイ16世の処刑から22年目の命日に、歴代フランス国王が眠るサン=ドニ大聖堂へと正式に改葬され、現在は夫と共に永遠の眠りについています。

一方で、残された子どもたちには処刑以上に過酷な運命が待ち受けていました。

  • 長女:マリー・テレーズ(享年72)
    タンプル塔に過酷な環境で幽閉され続けましたが、王族の中で唯一革命の嵐を生き延びました。1795年にオーストリアの捕虜となっていたフランス兵との交換により解放。後に従兄弟のアングレーム公爵と結婚し、波乱の生涯を全うしました。
  • 次男:ルイ・ジョゼフ(享年7)
    王太子(ドーファン)でしたが、革命勃発直前の1789年6月に結核(脊椎カリエス)により夭折しました。
  • 次男(実質的な後継者):ルイ17世/シャルル(享年10)
    両親の死後、名目上の国王とされましたが、タンプル塔で過酷な幽閉生活を強いられました。靴職人アントワーヌ・シモンによる乱暴な扱いや不衛生な環境での放置により、心身を著しく病み、1795年6月8日に結核性腹膜炎(あるいはリンパ腺結核)により10歳の若さで悲惨な獄死を遂げました。
  • 次女:ソフィー(享年0)
    生後わずか11ヶ月で夭折しています。
佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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