日本はなぜシベリア出兵へ?米騒動と泥沼化を招いた「真の目的」を徹底解説

日本はなぜシベリア出兵へ?米騒動と泥沼化を招いた「真の目的」を徹底解説の背景について、専門知識を取りまとめてご紹介します。

シベリア出兵の決定は、極東ロシアの大地だけでなく、日本国内の庶民生活を根底から破壊する激震をもたらしました。1918年の夏に全国を揺るがした1918年米騒動の直接の起爆剤となったのが、まさに政府によるシベリア出兵の事前通達と軍需米の調達でした。

当時、第一次世界大戦の好況(大戦景気)によるインフレが進行しており、物価の上昇に対して民衆の賃金は追いついていませんでした。そこにシベリアへの大軍派遣が決まったことで、軍部が大量の兵糧米を確保するために米を買い集め始めます。この動きを察知した商人や政商、穀物相場師たちが「米価はさらに高騰する」と踏んで売り惜しみや大規模な買い占めに走った結果、白米1升(約1.5kg)の価格が数カ月で急激に跳ね上がりました。

当時の新聞報道や地方誌の手記には、日当50銭前後で過酷な労働に従事していた港湾労働者や農村部の人々が、1升50銭を突破した主食の米を買えず、飢えに直面した生々しい記録が残されています。1918年7月22日、富山県魚津港で漁民の妻たちが米の積み出しを阻止した運動(越中女房一揆)を皮切りに、抗議行動は瞬く間に全国の主要都市、炭鉱、工業地帯へ飛び火しました。

政府は警察だけでなく軍隊を出動させて民衆を武力鎮圧し、新聞各社への報道管制を敷きましたが、怒りの炎は消せませんでした。全国数百カ所で暴動が発生し、数十万人が蜂起した事態の責任を取り、寺内正毅内閣は1918年9月に総辞職を余儀なくされます。皮肉にも、軍事力で対外膨張を図った武官総理の失脚によって、日本憲政史上初となる本格的な政党内閣である「原敬内閣」が誕生することとなりました。

山下 哲也

山下 哲也

自動車・モビリティライター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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