梅沢富美男の女形|下町の玉三郎の妖艶美と引退説の真実【2026】

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梅沢富美男が大衆演劇の金字塔を打ち立てるまでの道のりは、決して順風満帆なものではありませんでした。大衆演劇「梅沢劇団」の創設者である父・梅沢清と、元娘歌舞伎出身の母・竹沢笑妹の間に生まれた彼は、幼少期から舞台に立っていたものの、当初は演劇そのものに対して強い反発心を抱いていたと自著や数々の回顧録で明かしています。

転機が訪れたのは25歳の時でした。劇団の座長を務めていた実兄・梅沢武生から「劇団を立て直すために、お前が女形をやれ」と命じられたことがすべての始まりです。当時の梅沢劇団は客足が伸び悩み、座付きの女優が不足するという存亡の危機に直面していました。「男がなぜ女の格好をして舞台に出なければならないのか」と当初は激しく抵抗した富美男でしたが、劇団存続という重責を背負い、退路を断って女形の稽古に打ち込むことになります。

当時の歌舞伎界では、希代の女形である五代目 坂東玉三郎が一世を風靡していました。伝統芸能の最高峰である歌舞伎に対し、下町や地方の芝居小屋を巡演する大衆演劇の舞台で、圧倒的な色気と親しみやすさを武器に客席を沸かせた梅沢富美男に対し、著名な写真家や劇評家たちが敬意と親しみを込めて名付けた称号こそが「下町の玉三郎」でした。敷居の高い伝統芸能ではなく、手の届く距離で極上の艶やかさを放つ彼の舞台は、瞬く間に口コミで広がり、連日満員御礼の社会現象へと発展していったのです。

阿部 裕樹

阿部 裕樹

エンタメ専門ジャーナリスト

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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