中村梅之助の死因と最期の真相|初代金さんと息子梅雀の軌跡

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中村梅之助という俳優の評判を決定づけたのは、何よりもその「親しみやすさ」と「確かな肚(はら)の座った演技力」の共存でした。

彼が若い頃から舞台で叩き込まれた歌舞伎の素養は、1970年に幕を開けたNET(現・テレビ朝日)系『遠山の金さん捕物帳』で見事に結実します。後の杉良太郎や松方弘樹、高橋英樹らによる金さんが「切れ味鋭い二枚目ヒーロー」として描かれたのに対し、梅之助の金さんはどこまでも庶民の目線に立った温和な町人・金さんでした。悪党を裁く桜吹雪のクライマックスで見せる鋭い眼光と、お白洲以外で見せる人懐っこい笑顔の落差が視聴者の心を掴み、最高視聴率32.6%を記録する国民的メガヒットとなりました。

続いて主演を務めた『伝七捕物帳』では、人情味あふれる黒門町の伝七を熱演。紫房の十手を指先で鮮やかに回し、事件を解決した後に放つ「めでてえな」の決め台詞と指締めは、当時の子どもから大人まで日本中で模倣される社会現象となりました。

さらに役者としての底知れぬ実力を見せつけたのが、1977年のNHK大河ドラマ『花神』です。近代日本陸軍の創始者でありながら、偏屈で無愛想な奇才として知られた大村益次郎を演じた梅之助は、大きな頭を揺らし「ぽっくり、ぽっくり」と独特のリズムで歩く所作を体現。原作者の司馬遼太郎をして「益次郎本人が生き返ってきたかのようだ」と唸らせた名演は、現在でも大河ドラマ史上に残る名キャスティングとして語り草になっています。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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