大阪あみだ池の歴史と善光寺伝説!和光寺の見どころや御朱印を徹底解説
大阪あみだ池の歴史と善光寺伝説!和光寺の見どころや御朱印を徹底解説に関する注目トピックを分かりやすく解説します。関心のある方は必見です。
大阪の歴史を語る上で欠かせない「あみだ池」の起源は、約1400年前の飛鳥時代(6世紀後半)まで遡ります。当時、百済から献上された仏像の受け入れを巡り、崇仏派の蘇我馬子と廃仏派の物部守屋による激しい権力闘争(廃仏論争)が巻き起こりました。その際、物部氏によって仏像(一光三尊阿弥陀如来像)が投げ捨てられた場所が「難波の堀江」でした。
その後、推古天皇の時代(602年)に信濃国(現在の長野県)の住人であった本田善光(ほんだよしみつ)が国司の供をして都へ上がった際、この難波の堀江を通りかかると、水底から眩い光が放たれ「善光、善光」と呼びかける声が響いたと伝えられています。善光が畏怖しながら見つめると、池の中から黄金の阿弥陀如来像が浮かび上がり、彼の背中に飛び乗ったという奇跡の伝承が残されています。
本田善光はその尊像を故郷の信濃へ持ち帰り、自身の館に祀ったことが現在の「信州善光寺」の始まりとされています。つまり、信州善光寺の本尊が長野へ渡る直前まで沈んでいた場所こそが、現在の大阪市西区にある「あみだ池」なのです。
長らく池のまま放置されていたこの地ですが、江戸時代の元禄11年(1698年)、大坂の豪商や信徒らの篤い支援を受けた智乗上人によって寺院が建立され、「和光寺」と名付けられました。寺名は「和光同塵」の教えとともに、「善光寺」の「光」の文字に調和を重ねたものと伝えられています。