竹ノ塚踏切事故なぜ起きた?手動の悲劇から高架化完了までの全真相

竹ノ塚踏切事故なぜ起きた?手動の悲劇から高架化完了までの全真相の真相について、分かりやすい解説を詳しくお届けします。

2005年3月15日の昼前、竹ノ塚駅南側の「伊勢崎線第37号踏切(通称・大踏切)」周辺は、普段通りの混雑を見せていました。この踏切は複々線に加え、竹ノ塚検車区(現・東京メトロ千住検車区竹ノ塚分室)への入出庫線を含む計5本の線路が横断する全長約33メートルの大規模なものでした。通勤ラッシュ時ともなると1時間のうち57分間も遮断機が降りたままになる典型的な「開かずの踏切 竹ノ塚」の現場として、地元住民にとって長年の悩みの種でした。

午前11時33分頃、下り急行列車と下り普通列車が相次いで現場を通過。踏切の警報音は鳴り続け、操作室内にある運転保安盤のランプは上り準急列車(浅草行き・6両編成)の接近を示す赤色点滅を表示していました。しかし、現場で遮断機の開閉を担当していた当時53歳の踏切保安係は、下り列車の通過音と踏切待ちをする歩行者らの姿に気を取られ、接近ランプの点滅を見落としたまま、手動レバーのロックを解除してワイヤーを操作し、4カ所すべての遮断桿を完全に押し上げてしまいました。

遮断機が上がったことで、安全を確認した歩行者や自転車利用者が一斉に踏切内へと足を踏み出しました。その直後、時速約85kmでカーブを抜けてきた上り準急列車が進入。運転士が非常ブレーキをかけ警笛を鳴らしたものの制動は間に合わず、線路内にいた女性4名を次々にはね飛ばしました。この東武伊勢崎線 踏切事故により、買い物帰りの母子ら2名が尊い命を奪われ、大学生ら2名が全身打撲や骨折などの重傷を負う凄惨な現場と化しました。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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