蘇我蝦夷と入鹿はなぜ滅ぼされたか?乙巳の変の真相と滅亡の決定打
蘇我蝦夷と入鹿はなぜ滅ぼされたか?乙巳の変の真相と滅亡の決定打について知っておくべき ポイントを分かりやすい構成で解説いたします。
歴史の皮肉とも言えるのが、聖徳太子(厩戸皇子)と蘇我氏の関係性です。かつて聖徳太子と蘇我馬子は、仏教を中心とした国づくりや冠位十二階・十七条憲法の制定など、二人三脚で国家改革を推し進めた「盟友」でした。太子自身、母が蘇我稲目の娘(穴穂部間人皇女)であり、正妃にも馬子の娘(刀自古郎女)を迎えるなど、濃厚な蘇我の血を引いていました。
しかし、この強固な盟約関係は、世代交代とともに修復不可能な亀裂へと変わります。馬子と太子という二大カリスマが相次いで世を去ると、蘇我本宗家を継いだ蝦夷・入鹿にとって、太子の血筋である上宮王家(山背大兄王ら)は「協力者」ではなく、自らの傀儡政治を脅かす「最大の政敵」へと映るようになったのです。
山背大兄王は、聖徳太子の遺徳を継ぐ存在として群臣からの信望が極めて厚く、推古天皇の崩御時にも有力な後継候補として名が挙がっていました。入鹿にとって、朝廷内で圧倒的な権威を持つ山背大兄王が即位することは、蘇我氏による権力独占の終焉を意味していました。斑鳩宮襲撃による上宮王家の壊滅は、蘇我氏の権勢を誇示するどころか、天皇家と豪族層の怒りを決定的に買い、蘇我氏滅亡へのカウントダウンを開始させる結果となったのです。