織田信長の妻・濃姫の真相に迫る!子供の有無と側室たちの実像
話題沸騰中の 織田信長の妻・濃姫の真相に迫る!子供の有無と側室たちの実像について、主要な情報を分かりやすく掲載しています。
織田信長の生涯を語る上で、正室・濃姫とともに欠かせない存在が側室・生駒吉乃(いこまきつの)です。尾張国の有力商人であり土豪でもあった生駒家宗の娘として生まれた吉乃は、一度他家に嫁いだものの夫と死別し、実家の生駒屋敷(現在の愛知県江南市)に戻っていた折に信長と出逢いました。
吉乃は信長の深い寵愛を受け、弘治3年(1557年)に織田家の命運を担う嫡男・織田信忠を出産します。続いて次男の信雄、徳川家康の嫡男・松平信康に嫁ぐことになる長女・徳姫を立て続けに出産しました。生駒屋敷は信長にとって美濃攻めの策源地であると同時に、戦乱の激務から逃れて心を休めることのできる精神的な安息地でもありました。
しかし、吉乃は永禄9年(1566年)、30代半ばの若さで病没します。信長はその死を深く嘆き悲しみ、手厚く葬礼を執り行ったと伝えられています。信忠が信長の正当な後継者として育てられたのは、吉乃が産んだ子であったことに加え、生駒家が持つ経済力と尾張・美濃をつなぐ物流ネットワークが信長の天下布武に不可欠だったからです。
吉乃の死後、信長の覇業後半において奥向きの中心人物となったのがお鍋の方(おなべのかた)です。近江国の土豪・小倉実房の未亡人であったお鍋の方は、絶世の美女であっただけでなく、極めて高い教養と実務能力を備えていました。
安土城が完成すると、お鍋の方は信長から城内の奥向きを取り仕切る全権を委ねられました。信長からの信頼は絶大で、本能寺の変後もお鍋の方は取り乱すことなく信長の子女たちを保護して安土を脱出し、秀吉のもとで織田家の血筋を守り抜くという大功を立てています。