最北端の線路が語る波乱の軌跡!昔の稚内駅舎と消えた連絡船の記憶
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かつて日本国有鉄道(国鉄)が管理していた宗谷本線は、日本列島の北の果てを目指す不屈のフロンティア精神そのものだった。旭川から北上を続けた鉄路が1926年に全通したことで、東京からサハリン(樺太)の豊原(現・ユジノサハリンスク)までが鉄道と船で一本の帯のように結ばれることとなった。
その中核を担ったのが、稚内と樺太の大泊を結ぶ「稚泊連絡船」だ。砕氷能力を備えた「亜庭丸」や「宗谷丸」といった連絡船が、流氷の漂う凍てつく宗谷海峡を果敢に往来した。東京駅を前日の夜に出発した特急列車が青函連絡船を渡り、北海道を縦断して稚内港へ到着する。そこから海を渡るルートは、当時の人々にとって最高峰の長距離旅路であった。