宮澤喜一の真実と功績|華麗なる家系図から55年体制崩壊の裏側まで

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1919(大正8)年、東京に生まれた宮澤喜一の経歴は、戦後エリートの象徴そのものでした。府立一中、第一高等学校、東京帝国大学法学部を卒業後、1942年に大蔵省(現・財務省)へ入省。敗戦直後の占領期、卓越した語学力を買われてGHQ(連合国軍総司令部)との折衝役に抜擢されたことが、政治家・宮澤喜一の原点となります。

1951年、サンフランシスコ講和条約調印会議において、池田勇人大蔵大臣(後の首相)の秘書官として全権随員を務めました。当時、多くの日本人官僚や政治家が通訳を介して恐る恐る会話をしていた時代に、宮澤はネイティブレベルの洗練された英語で米側のキーパーソンと対等に渡り合いました。その英語力は単に流暢であるだけでなく、国際法や高等経済学の難解なタームを的確に使いこなす教養に裏打ちされており、キッシンジャー元米国務長官をはじめとする海外の要人たちを「日本の閣僚で最も知的で話が通じる人物」と唸らせたほどです。

1953年に参議院議員として政界入りした後は、経済企画庁長官、通商産業大臣、外務大臣、官房長官、大蔵大臣といった主要閣僚を歴任。自民党内の政策集団「宏池会(こうちかい)」を率い、軽武装・経済重視の保守本流路線を正統に継承するプリンスとして、満を持して1991年11月、第78代内閣総理大臣に就任しました。

阿部 裕樹

阿部 裕樹

エンタメ専門ジャーナリスト

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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