昭和の黒幕と占術家の蜜月と泥沼|安岡正篤・細木数子関係の全真相
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1983年9月に提出された婚姻届に対し、安岡正篤の親族である安岡家側は即座に激しい怒りの声を上げました。当時、安岡正篤は脳梗塞の後遺症や著しい認知症の症状が進んでおり、他者の介助なしには日常生活を送ることすら困難な状態にあったと証言されています。
親族側は「正常な意思能力がない状態での婚姻届提出は偽造に等しい」として、東京家庭裁判所へ婚姻無効の調停を申し立てました。これに対し、細木数子側は「正篤先生から請われて正式に妻となった。晩年の看取りを行ったのは自分だ」と頑なに主張し、真っ向から対立。泥沼の法廷闘争へ突入しました。
争点は単なる夫婦関係の存否にとどまりませんでした。安岡正篤が遺した莫大な資産、さらには彼が主宰した「郷学研修所」などの不動産、そして何より政財界のトップに影響を与え続ける膨大な著作権の相続権が絡んでいたためです。もし婚姻が認められれば、細木数子は法定相続人として遺産の半分を手にし、思想界の巨大な利権を握ることになる構図でした。
結果として、1984年に東京家庭裁判所において和解が成立。細木数子側が身を引き、婚姻届は法的に「無効」として戸籍から抹消されることが確定しました。同時に細木数子は遺産相続権を放棄し、預かっていたとされる安岡正篤の揮毫や書籍類を返還することで、事件は辛うじて法的な決着を迎えたのです。