橋龍と呼ばれた橋本龍太郎の功罪|行革と普天間合意の真相に迫る

橋龍と呼ばれた橋本龍太郎の功罪|行革と普天間合意の真相に迫るに関する注目トピックを速報でお届けします。関心のある方は必見です。

橋龍内閣の政策において、戦後日本外交・安全保障の最大のトピックの一つに挙げられるのが、1996年4月に電撃発表された「米軍普天間飛行場の全面返還合意」です。前年の1995年9月に発生した米兵による少女暴行事件を契機に、沖縄県民の怒りは頂点に達し、大田昌秀知事(当時)による米軍用地強制使用の手続きへの署名拒否など、日米安全保障条約の根幹を揺るがす未曾有の危機に直面していました。

当時の報道各社の記録や関係者の証言によると、橋本は就任直後から「沖縄の重荷を本土全体で分かち合わなければならない」と周囲に漏らし、極秘裏に対米交渉を指揮していました。相手となったのは、ウォルター・モンデール駐日米大使。橋本は外務省や防衛庁の頭越しにモンデール氏との直接対話を重ね、海兵隊航空基地としての戦略的要衝である普天間の返還を直談判したのです。

「もし普天間が戻らなければ、日米安保体制そのものが沖縄の反発で瓦解する」という橋本の気迫に満ちた説得は米側首脳を動かしました。クリントン大統領の訪日直前、深夜の内閣総理大臣官邸で記者会見を開いた橋本は、自らの言葉で「5年ないし7年以内の全面返還」を発表。会見場にいた番記者たちが息を呑むほどの歴史的瞬間でした。しかし、この合意には「代替施設の建設」という極めて困難な条件が付されており、のちの名護市辺野古移設を巡る混迷へとつながっていきます。重い負担の軽減という悲願と、地政学的リアリズムの狭間で下した決断の裏には、自ら責任を背負い込もうとする政治家・橋龍の凄絶な覚悟が刻まれていました。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest