後藤組解散の真相と後藤忠政の現在|組織の栄枯盛衰と2026年最新実像
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長年にわたり山口組の看板を背負い続けた後藤組が、突如として解散に追い込まれた直接の引き金は、2008年9月に発生した「誕生会ゴルフコンペ事件」でした。
当時、六代目体制下で統制を強めていた山口組執行部(司忍組長・髙山清司若頭体制)は、全直参組長に対して重要会合への出席を厳命していました。しかし、後藤組長は持病の療養などを理由に執行部会合を欠席。その一方で、自身の誕生日を祝う豪勢なゴルフコンペを静岡県内で開催し、有名演歌歌手や芸能人を多数招いていた事実が執行部の逆鱗に触れたのです。
この処分に対し、後藤組長に同調した複数の有力直参組長(井奥会・大石組など)が執行部への連名抗議状を提出するなどの反発を見せましたが、執行部は即座に厳しい姿勢で臨み、2008年10月14日付で後藤組長に最も重い処分の一つである「除籍処分」を通達しました。
孤立無援となった後藤組長は即座に引退を表明。同年10月21日、後藤組は静岡県警察富士宮警察署に正式な組織解散届を提出し、半世紀近くに及んだ血と暴力の歴史に幕を下ろしました。傘下組織の一部は良知組や藤友会などに再編・直系昇格され、直系組員らは分散して山口組本体へと吸収される形となりました。